金つなぎ・非日常療法のすべて

自助努力・身の丈サイズの、がん(ほか難病・大病)患者会「がんを明るく前向きに語る・金つなぎの会」の、”勝ち抜き実践記録”をすべて公開。後に続く病友の治癒と安寧のために…!

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♪きっとよくなる、かならず良くなる! ご一緒に…

前項で、エミール・クーエ(クエ)の詩を紹介したら、「エミール・クーエって?」との問い合わせを
数件頂戴した。


今日から毎日 あらゆる点で
いっそう 良くなる                                                                                                          ますます 良くなる                                                                ぐんぐん 良くなる                                                      かならず 良くなる                                                                  ぜったい 良くなる                                                   きっと 良くなる                                                                         良くなるしか ない                                                                                
                                                            まことに好日的な、力づよい詩である。
とりわけ「きっと良くなる かならず良くなる」は、キャッチフレーズとして人の心にズンと響く、影響力の大きい言葉である。


私はこの詩を記した1枚の色紙を、病友の増本康子さん(金つなぎ会理事・平成8年ご逝去)
から頂いた。 彼女のご主人・幾太郎さんが能筆の方で、品良く力強く書いてくださったものである。
あるとき、幾太郎さんに「これは、どなたの詩ですか?」 と訊ねたら、「ボクは何かの雑誌で見つけたんですが、 …さぁ、誰の言葉だったか?」 とおっしゃる。 のちに、金つなぎの病友の中に博識の方がおられて、 「それは、エミール・クエの詩ですよ」 と教えられた。


その後いろいろ調べたが、この詩がクエのものである、との確証は、今にいたるも得られていない。 ただし、これに類する言葉は残っているので、のちのどなたかが少し膨らませてくださったのではないだろうか?


薬学者・エミール・クーエ(Emile Coue)は、1857年 フランスのトロワに生まれ、パリで薬学を学んだのち、数十年間トロワで薬剤師として、暮らしたとされる。                                                        
後年、”クエイズム”と称される自己暗示法の創始者で、ポジティブ・シンキングの元祖ともいわれる彼は、催眠術の研究や実験を行うなかで自己暗示による独自の精神療法(クエ・メソッド)を開発。 リューマチ、喘息、結核、がんにいたる広汎な患者を、それにより治したという。


クエ博士の用いた『患者が自分で治せる方法』は、非常にシンプルで、習慣にし易いのが、特徴だ。
つまり、1日に2回、朝目覚めたときと寝る前に、10回ずつ以下の言葉を言わせたに過ぎない。
「私は、日毎に、あらゆる点でよくなっていきます。どんどんよくなっていきます」                            こ
のように、好日的な言葉を声に出して繰り返すことで、私たちは自分自身をその考えに精神集中させる事が出来る。


「私は、誰一人として治療してはいない。患者が自分の力で治せるように教えただけです」 と言って、患者の努力を称えたといわれるエミール・クエは、また、「あなたの人生は、あなた自身がつくるのです」と、後世の私たちに教えてくれている。                                   もっとも、彼が教えたのは個々の患者に対してであったけれど、国内外に1623人の会員を擁する私たち ”金つなぎ” は、「きっと良くなる、かならず良くなる! ご一緒に!」 と病友の絆の力に縋って生き延びるべく、意気ますます盛んである。


  1. 2006/07/19(水) 13:49:55|
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♪私は多重がんの患者です。 発病したのは14年前…

がんを明るく前向きに語る・金つなぎの会は、”身の丈サイズ・自助努力”の患者会である。 が、会創設当初から、理念やモットーが揃っていたわけではない。                     


5つの理念もモットーも、私自身が乳がん(1期C)と卵巣がん(3期)5か所転移)を病み、「余命半年の命」と覚悟を決めた平成5年ごろから僅かの期間に、生き延びるために信じて実践した内容をまとめたものである。


今を遡る14年前、平成4年の3月。 当時勤務していた新聞社で、「誕生日検診」のシステムが導入され、誕生日を期して1日休暇が保証されることになった。 結果的に私は、このドックで乳がん(1期C)を見つけてもらった。 厳密に言えば、きっかけをもらったのだ。


その日、超音波検査で左乳房の左上に約1㌢の固いしこりが認められ、 「う~ん、このしこり、なんか気になるなぁ。…一度専門の病院で見てもらってください」とドクターに言われ、会社の近くにあった大阪大学医学部付属病院の第二外科を受診したことが、早期発見につながったものである。


病友の生死を分ける大きな要因のひとつは、「きっかけ」である。 私の場合は、誕生日検診とその後のいち早い担当科受診であった。 ちなみに、乳がんは外科の”守備範囲”に属する病である。 女性特有の病ではなく男性にもみられ、その率は女性の約100分の1ということである。


阪大病院の場合、乳がん(乳腺腫瘍)は、第二外科が担当していた。 私の場合は、幸いに早期発見のがんとのことで、主治医からは「乳房温存術」を勧められたが、ためらわず乳房全摘術を選んだのだった。 「大丈夫? ボクの経験では女性は、ほとんどが、おっぱいに執着しますよ」とドクタ-は言い、すぐに、「先日も、70歳の女性が”乳房再建術”を頼んでこられたんですよ」と言葉を継がれた。


それでも、頑なに乳房全摘を選んだのは他でもない、 当時の私が、新聞記者の仕事を天職と言って憚らず、他にもグループの夕刊紙に経済人夫妻の隠れたエピソードを紹介するコラムを執筆。読者からのレスポンスも多く、それらの仕事に生き甲斐をも感じていたからであった。


がんを病んでからつくづく思い知ったのは、「捨てるべき時には、捨てる勇気を持とう!」ということだ。 欲張りの私は、当時 ”仕事も家庭も捨てられない!”と粋がっていた。 自分に対する不遜なほどの自信があった。 浅はかであったなぁ…と、いま、ほろ苦く思い返す。


「命が錘にかかっている」 のが ”がん秤”。 たとえ捨てられないほどに打ち込んでいる仕事であろうとも、どんなに手放せない大切なものであっても、生き延びるためには、捨てなければならない! なにより、”余命半年”のがんを、受け入れなくてはならない。 それしか、この窮地を逃れる方法はない! …そのことに気づいたとき、良寛和尚の言葉が 激しく私の心を打った。


天保2年(1831)に逝去された、良寛和尚の最期は激しい下痢に悩まされ、症状から直腸がん
が推察されるという。 同病の先人と思えばひとしお、心も動く。
和尚が、文政12年(1827)の大地震で被害に遭った知人に送った下記の一文が、それである。    


     「 しかし 災難に逢時節には 災難に逢がよく候 
       死ぬ時節には 死ぬがよく候 
       是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ     
                                良寛」


そうなのか!                                                   がんはある日突然、私たちの体に住み着き、人生設計を狂わせ、時にはあっという間に命までも奪い去る理不尽な病である。 これこそが、人生の災難でなくてなんであるか。 そしてこの災難は、逃れようとすればどこまでも追いかけてくる。 けれど、受け入れて立ち向かえば、案外弱虫の側面が見えてくる。                                                  そうなのだ!


災難(がんの発症、転移・再発)は災難として受け入れ、天命にまかせよう。 それが、私に用意された道なのだ。 この、抗がん闘病の道を信じて、一生懸命に歩いていこう。 …そのように、腹を括って生きてきた14年あまり。 気がついたら、不思議に私は生きている。 ”余命半年”の私が、生かされている。                                                        まことに、難有り、有難し!!!    ありがたい、なぁ。


一部、未分化型の ”顔つきの悪いがん” 以外は、案外御しやすい病ががんである、と私は確信している。 この確信は、10余年に及ぶ自らの闘病と金つなぎの会の病友の闘病から、厳密に言えば、闘病の実践からの確信である。


今日から毎日 あらゆる点で
いっそう 良くなる                                                                                                          ますます 良くなる                                                                ぐんぐん 良くなる                                                      かならず 良くなる                                                                  ぜったい 良くなる                                                   きっと 良くなる                                                                         良くなるしか ない                                                                                


        詩:エミール・クーエ


                           

  1. 2006/07/01(土) 01:26:07|
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♪終末期の生き方・死に方

昨秋、英(ひで)ちゃんが、逝った。
「まだまだ、死にたくない。僕は生きたいんです…」と、私に伝えて逝った。
大阪の会社の営業マンで、36歳。仕事にも結婚にも夢をつないで頑張っていた。


緊急入院して、まだ1週間。終末期と理解してはいたものの、「気力を尽くして生き延びましょうよ!」と互いに誓い合っていたので、連絡の電話にも思わず「えっ、ウソでしょう?」と問い直したりして、すぐには受け入れることができなかった。


亡くなる前の週に見舞ったおり、「背中に手を入れようか?」と聞いたらうなずいたので、顔色を見ながら手や足をさすったりもした。
英ちゃんは眼をつむったまま穏やかな顔をしており、まだまだ命のほむらを掻きたてて生きてくれると信じていた。


3日後に見舞ったおりにも「辛いでしょう? 手を入れようか?」と訊ねたら、「いえ、今日は、いいです…」と言い、少し苦しそうでもあったので、早々に病室を後にした。
看病中のお兄さんが廊下の立ち話で、「昼休みに見舞ったおり、“兄貴、怖いんや。一緒にいてくれるか?”と言うので、そのまま会社を休んで付いてやりました…」とおっしゃる。
直感的に終末が近いことを知り、それとなく伝えたくて、「もう、タッチングも出来なくなって…」と逝ったら、「弟は、“今日は…”と言うたんですよ。 次の機会に又…と言うことですから」 と自らに言い聞かせるように言われた。


終末の言い知れない不安を、病友の多くが「怖い」と表現して逝かれる。昭和の文豪、吉川英治氏は、終末の床で娘さんに「大きな不安なんだよ、君…」と、自らの死について語られたと聞いた。 誰もが“不安”を口にする終末期。 これを乗り切るためには、日ごろから「明るい確かな死生観を身に着ける」ことが、必須であると容易に理解できる。


“金つなぎ・五つの理念”に曰く、「死ぬも生きるも天命のまま」と。明るく強く前向きに、志高く、自分らしく、生き抜く覚悟を、友よ!さぁ、ご一緒に身に着けましょう。

  1. 2006/04/26(水) 03:02:15|
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♪事件を契機に、「死と向き合う覚悟」を!

「富山県射水(いみず)市の同市民病院(麻野井英次院長)で、外科医師(50)が入院患者7人の人工呼吸器を取り外し、全員が死亡していたことが25日わかった。 医師による安楽死の疑いがあるとして同病院が県警に通報。県警は、殺人の疑いもあるとみて、外科医師らから人工呼吸器を取り外した経緯などを詳しく聞いている」(2006年3月25日  読売新聞)                                                                                                                                                                                                 


射水市民病院事件が1か月を経た今も話題を集めている。 真相は、まだまだ解明中とのことであるが、多重がんを病み、一度は"余命半年"を覚悟した患者の立場から、以下いささかの思惟を深めてみた。


いわゆるがん末期や難病、老衰などで寝たきりになった私たちが、在宅または病院で、中心静脈栄養法(IVH)、経管栄養法(胃ろうカテーテル)、気管切開、気管内挿管などの処置を受けているとき、本人の意思を確認しないままその装置を外すことは法的にも許されない。


にもかかわらず、このたびの射水病院事件のほか、東海大付属病院事件(1991年)、北海道の道立羽幌病院事件(2004年)など医師による同様の事件が起き、それが家族の意思確認を得て措置されたと聞くたびに私たちは、「自分がいかに死ぬか」 また 「いかに生きるか」 という、確かな "死生観" と "病者の哲学" を持つことを怠ってきたのではないか、とその答えを迫られてきたのだった。


そのことが、がんや難病を病む身の必然であることも、当然分かっていた。それなのに、なぜ、
がん・難病患者の多くは、終末期を前にその意思表示をしておかないのだろうか? 家族と医療者(医師や看護師)らと自分自身の終末について話し合っておかないのだろうか?


思うに、日ごろ "生命の危機" に向き合うことが極めて少ない時代に生まれ合わせ、死そのものが
日常のテーマになり得ない、そんな時代にいち早く病んだまことに不幸な私たちではあるまいか。


せっかく、がんを受け入れ大病を身にまとったからには、 「死と向き合う覚悟」 こそが求められて
いると理解し、なおかつ覚悟を決めればかえって安らかに生きられ、明るい予後も展けるものだ、と納得しよう。


この事件を契機に私たちは、最後まで明るく強く前向きに、また主知的・主体的に生き、自分の死を他人に任せることなく、悔いなく生ききる覚悟を新たにするべきであろうと考えている。

  1. 2006/04/16(日) 18:42:42|
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★逝かれた絵門ゆう子さんに学ぶこと

元NHKアナウンサーでエッセイストの絵門ゆう子(えもん・ゆうこ、本名・三門裕子=みかど・ゆうこ)さんが、転移性乳がんのため逝去された。 49歳と聞いた 、…あまりに若すぎる。


NHKでは池田裕子の名前でニュース番組などを担当、退職後はフリーアナウンサーや女優として活動された。平成12年にがん告知を受けたことを公表、併せて、すでに首の骨、肝臓、脊髄などに転移していることも発表された。 それでも執筆や講演に活動の場を広げ、精力的に生き続ける姿をみせておられたというのに。


彼女の明るく率直な生き方にはファンも多く、体じゅうに転移したがんを治すために怪しげな民間療法や、超能力者もどき、健康食品にもはまったことなど、自らの取り組みををさらけ出した著書を読んで、泣き笑いのエールを贈った病友も多いことだろう。


私こと、絵門さんを直接は存じ上げないが、旧知の編集者・平野弘美さん(月刊「フィジシャン」)が絵門さんの乳がんの本をまとめたおりに、ほんの少しばかり協力し、そのご縁で出来上がった著書を20冊購入し、病友がたにプレゼントしたご縁があるばかりである。
その彼女は、「明るく強く前向きに!」と金つなぎの会が11年前から掲げてきたモットーをそのままに、積極的ながんの予後を生ききって逝かれた。


当初、近代医療(西洋医学)を拒否した絵門さんは「がん死した母が、抗がん治療で苦しんで逝った姿を思い出すと辛くて、私は受けない!」と言われたそうだ。
「…だめよっ!いま、近代医療の選択肢があるうちに、あなたの気力・体力に応じた抗がん治療に
取り組まなければ!」。 届かぬ言葉と知りながら、テレビ画面に映った当時の絵門さんに、私はむなしい言葉をかけたのだった。 その言葉を改めてここに紹介させていただくのは、ほかでもない、後に続く病友の参考に供したいから…。


たとえばがんは、ぼうぼうと燃えさかる燎原の火である。初期消火、科学消防力の効果こそが勢いづいた火を消す事が出来る。同様に終末のときも、近代医療の対症療法が患者の痛みや苦しみを取り除いてくれる。
初期と終末期における取り組みを誤ったばかりに、苦しんで後悔して逝かれた病友を、これまでにいったい幾人見送ってきたことだろう。


一度限りの人生を、自分らしく生きて逝かれたようにみえる絵門さん。果たして彼女に、悔いはなかっただろうか?


がんの医療は、日進月歩である。5年前、10年前に比べれば治療の選択肢も増え、新たな抗がん剤はもちろん,その他の有効な治療法も多く開発されている。
かつて、誰かが苦しんで亡くなられたその治療法も、今ではもっと患者にやさしく進歩しているケースがほとんどである。代替療法も補完療法も、主となる近代療法があってこその"代替"であり、"補完"であるということを、健常なときにこそ誰もが理解しておくべきであろう。


近代医療を拒否しその他の療法に縋った絵門さんが、「このベッド、100万円よ。波動が出てるの。あ、このマットは17万円ね」などとテレビで語っておられる姿を、まことにほろ苦くせつなく拝見したことであった。


終末期は、遠回りの末に辿りついた聖路加病院で、心やさしい医師や看護師さんらに手厚く見守られたという絵門さんは、自宅でマッサージを受けているおりに 「息が苦しい」と訴え、救急車で搬送され、その夜静かに逝かれたという。 がん患者の理想の逝き方でこの世とお別れをされた彼女に学ぶことは、近代医療の受け方と終末の迎え方である。 金つなぎの会では、近代医療の恩恵を120%享受して初期、中期を闘い、終末期は病友の絆づくりと死生観の涵養で自分らしく悔いなく生ききる!と決めているのだが。 

  1. 2006/04/14(金) 16:40:36|
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プロフィール

さくら・さくら

Author:さくら・さくら
☆乳がん、卵巣がんを相次いで病み、余命半年の病状から生還した多重がん患者

☆がんを明るく前向きに語る金つなぎの会 代表

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