金つなぎ・非日常療法のすべて

自助努力・身の丈サイズの、がん(ほか難病・大病)患者会「がんを明るく前向きに語る・金つなぎの会」の、”勝ち抜き実践記録”をすべて公開。後に続く病友の治癒と安寧のために…!

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★死を身近におく、ということ… Vol.2

10月9日、姉が逝った。


その日、京都で取材中だった私は、付き添ってくれていた姉のボーイフレンド・T氏からの悲痛な電話で、仕事を中断して病院に急いだ。


まさか! 9月4日に入院してほどなくの頃、Drから、 「いつ何が起こっても不思議ではない血管の現状です」 と、MRIの画像を見ながら説明を受けてはいた。


 「血管が石灰化しています。 この、白い骨のように見えるのが、それです」 と、確かに聞いてもいた。


けれど、姉は7月半ばまで、ドラッグチェーンの管理薬剤師として、週に4日店頭に立っていたのだ。


10年来糖尿病を病み、目が不自由になって足が弱り、耳が不自由になっても、日々働くことを止めなかったのだ。
そう。 病院のベッドでも、元気に病んでいた。


出された病院食は、箸でつまめなくなると手を使って、すべて食べた。 
死の3日前まで、元気に食べていたのだ。


あっけない。
死は、まことにあっけない。
姉は病室のベッドに横たわり、まるで生きているように死んでいた。


薬局に勤める前の姉は、73歳まで高校教師として生徒に化学を教えてきた。 
大正14年生まれ、享年83歳であった。 


大阪薬科大学を終えて22歳で女学校の化学教師を拝命した。
姉の初めての教え子は、通夜の席で、「どっちが生徒だったか先生だったか…」 と泣き笑いの表情を浮かべたものだ。  生徒と共に、楽しいことを捜して生きたようなのだ。


「なんか、面白いことないか?」 が、終生の口癖であった。


終戦後の、誰もが貧しく飢えていた時代に、姉は恋をした。
志をもって無産者運動に飛び込んだ、妻子ある男に恋をしたのだった。

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  1. 2007/10/24(水) 01:40:22|
  2. 認知症な日々
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

認知症は病気です

祥子さま、こんにちは!
認知症の母上、介護も一方ならぬご苦労がおありでしょうね。
私は、実は今日から入院しますので、当分の間、このブログの更新が出来なくなりました。

でも、必ず書き継いで行きますので、いま暫くお待ちくださいね。

なにより、深呼吸!
そうして、あなただけが辛いんじゃない、みんな頑張ってる!
…って、思ってくださいね。
お風邪など召されませんよう…

  1. 2007/11/01(木) 09:42:24 |
  2. URL |
  3. さくら・さくら #-
  4. [ 編集]

続きを読ませてください

母が認知症です。
76歳ですが、昨年末に家族が気付いて、以来、徐々に悪化しています。
ぜひ、お姉さまの病状を読みたいです。
  1. 2007/10/31(水) 22:51:24 |
  2. URL |
  3. 祥子 #-
  4. [ 編集]

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Author:さくら・さくら
☆乳がん、卵巣がんを相次いで病み、余命半年の病状から生還した多重がん患者

☆がんを明るく前向きに語る金つなぎの会 代表

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