金つなぎ・非日常療法のすべて

自助努力・身の丈サイズの、がん(ほか難病・大病)患者会「がんを明るく前向きに語る・金つなぎの会」の、”勝ち抜き実践記録”をすべて公開。後に続く病友の治癒と安寧のために…!

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♪第29回 日本プライマリケア関連学会開かれる

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  1. 2006/05/20(土) 23:53:51|
  2. 非日常療法とは
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♪孫たちと「死」について語った夜

息子の連れ合いのお父上が亡くなられた。 享年65歳、病名は、間質性肺炎である。


呼吸不全で緊急入院された翌日には、「彼女を看病のため大阪に帰したから…」と息子から連絡があり、取るものとりあえず、福岡の息子宅の留守番手伝いに向かった。 息子の長男、つまり私の孫は小学3年生、わんぱく盛りである。 この子に、大阪のおじいちゃんの思い出を少しでも多く残してやりたい…と思いながら、まさか、お父上が、このあと数日で逝かれるとは思いもよらない。


3日後の昼に訃報が届き、小学校まで孫を迎えに行った。 校門の横に小さな花壇があり、1本の見事なたんぽぽの綿毛をみつけたので、「おじいちゃんは、あの綿毛のヘリコプターで、天国に昇っていかれるよ!」と言い、摘んで帰った。 息子が、空き瓶に大切に綿毛を封じ込め、3人で急遽大阪に戻った。サービスエリアでトイレ休憩と夕食休憩を取りながら、9時間あまりかけて大阪に戻った。


車中、「ぼく、今夜どこで寝るの?」、「ん?名張へ行くんだよ」とやりとりのあと、「良かった…」と孫が心底安心したように言う。 名張は私の自宅である。


 ”おじいちゃんの死”をすぐには受け入れられない9歳の孫は、言いようのない不安と恐れを感じているらしく、大阪のおじいちゃん宅で寝るのが怖いらしいのだ。 「ひとは誰もが、一度は死んで天国に行くのよ」と私は言い、「みんな、天国に行ってあの世で楽しく暮らすんだから…」と付け加えた。 孫が、「ぼくには、この世で”おじいちゃん”って呼べるひとは、もう、誰もいないんだぁ」と、いつになくしみじみ言ったりなどするので、不憫が募り、頬ずりして抱きしめた。


やがて、時間の経過と、仮通夜、通夜、葬儀…と儀式が重なり、周囲におられるご親戚の皆さまとのやりとりなどからも、孫は”祖父の死”を受け入れたようだ。


思えば、葬送に連なる儀式の数々は、死者の鎮魂とあとに残った者たちへの悲しみを軽減させるための、有効な通過儀礼に他ならない…と知ったのは、私の抗がん闘病中に、たった4日で逝ってしまった亡夫を見送った経験からである。


葬儀を終えた日、孫を心身共に休ませてやりたくて名張の自宅に連れ帰った。


名張には、長男の孫がふたり待ってくれていた。 小学4年と小学1年の女の子である。 布団を3つ並べて敷き、眠りにつくまでの1時間ほどを、孫たちと「死」について語り合った。


10歳、9歳、6歳の子どもたちは、コミックなどでおぼろげながら死について理解できているようである。年かさの孫娘が、言葉を変えて彼女なりの説明をするのも、ほほえましい。


「死んだら、もう会えないね」、「誰でも死んだら天国に行けるのかなぁ?」に始まって、「死にたくない!」、「ぼくも!」、「私も!」と、言い合うころには眠気もさしてきたらしい。


やがて子どもたちは静かになり、ほどなく、かすかな寝息も聞こえてきた。


関わるひとを失う痛手は計り知れないものがあるけれど、一方で、大切な大切なことを、教えていかれる恩愛もまた、計り知れず大きい。


鎮魂、感謝とともに、合掌専一の今日このごろである。


  

  1. 2006/05/02(火) 23:50:01|
  2. 逝友を悼む
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プロフィール

さくら・さくら

Author:さくら・さくら
☆乳がん、卵巣がんを相次いで病み、余命半年の病状から生還した多重がん患者

☆がんを明るく前向きに語る金つなぎの会 代表

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